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☆☆☆☆☆☆
なぜ日本では哲学は育たないのか
☆☆☆☆☆☆
結論から言うと。日本にも、東洋にも古来より独自の哲学がたくさんある。
ではなぜ、日本には「 哲学がない」とか「育たない」と言われるのか。
それは西洋的哲学や西洋的価値判断を基準とした哲学がないだけ。
西洋の学問は、理性をベースに細分化することで発展してきた。
「人間の本質は、理性である」と考え
「真理はひとつ」として、正しさを追究して発展した。
西洋哲学は、個人の考えをどこから追及されても、
どんな角度から責められても、
相手を説得できる崩されることのない根拠がつくられている。
だから西洋哲学には、個人の考え方、信念しかない。
カントの哲学、ニーチェの哲学、ヘーゲルの哲学のように個人名を冠した哲学しかない。
カントの哲学とは、カントが個人で論証して体系化して作り上げた哲学。
時代に合わせて、新しい哲学が、個人によって作られてきた。
日本の大学の哲学科に入学すると、
先ず誰の哲学を研究するかを決めなければいけない。
ニーチェを選択したら、ニーチェの書いた文献を研究し、
論文を書いて、評価を受ける。
だからニーチェ哲学研究の大御所はいても、
自分で自分の哲学を作ろうという人は少ない。
なぜなら、評価をする基準がなく、
また評価をできる人がいない
だから、日本の大学では、自分の哲学は評価されない。
感性論哲学は、芳村思風の個人の哲学を越えている
理性の時代に変わる感性の時代の哲学として
これからの時代に必要な哲学。
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・
※新刊 2025年1月発売
「ほんとうの自分が見える55の問い」
著:芳村思風 文芸社
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