結婚は、恋の終わりで、愛の始まり

芳村思風一語一会 vol.3412
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結婚は、恋の終わりで、愛の始まり
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「愛」とは努力すること。
結婚して、長く一緒にいると「結婚する前と、この人は全然ちがう」
「変わった」「こんなはずじゃなかった」という場面が何度も出てくるようになる。
結婚するまでは、見えなかったこともある。
こんな人だと勝手に考えていたこともある。
そのギャップに気づいただけのこと。
相手も変わっているかもしれないが、自分も変わっている。
「恋」している時には、アバタがエクボに見える。

結婚すると、アバタはアバタとして見えてくる。
長く一緒にいると長所が見えなくなって、短所や欠点がクローズアップされてしまう。
自分の欠点や短所は見えづらい。
自分にも短所欠点があると自覚しなければ、他人の欠点短所が許せない。

人間は不完全です。

だから「愛」とは許すことからはじまるのです。

恋の病は、結婚すれば完治する。

多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに
“選ぶ相手を間違えた”と後悔する。生活を共にし始めたらすぐ正気に戻るから。
アバタはもうエクボには見えなくなる。

結婚したら孤独でなくなる、淋しさが癒される、幸せになれるなんて、勘違いだと気づく。
夫婦関係はまさに人生最大の“行”。
これほど人を成長させる人間修行はない。
愛を感情や情熱だと思っているために、夫婦や恋人たちは長く一緒にいると、
愛が冷めた、もう愛がないから別れましょうという話になってくる。

価値観、性格が合わないという理由で簡単に別れる。
独占欲や所有欲、執着や嫉妬は、愛ではない。

人間は不完全だから誰かを愛したら嫉妬も感じる。
嫉妬によって関係性を破壊してしまう
ような行為に出るのは真実の愛から出たものではない。
自分では愛だと思っている自己中心的な感情であり欲望であり執着。相手が自分の欲求や
要求を満たしてくれなかったら消えてしまうような愛は、とても幼い、未熟な愛です。

恋は、正しい理性が働かなるために修羅場を作るが、
愛は正しい理性と一緒になることで育くまれていくものです。

真実の愛には、待つ時間、耐える時間、許す力、信じる力、愛し抜く力、責任といった意志の力や
判断力・決断力、忍耐力、努力が不可欠なのです。

恋は自然、愛は芸術。
愛は文化なのです。




※出典は忘れましたが、ある本にこんなことが書かれていました。
「恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる。」
by. リヒテンベルグ
だから
「結婚は、恋の終わりで、愛の始まり」
by芳村思風






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